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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)2044号 判決 1956年10月09日

原告 株式会社反町商店

被告 株式会社第一銀行

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告は原告に対し、金三十七万二千円及びこれに対する昭和二十八年五月五日以降完済に至る迄年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする、との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

原告は銅、アルミニユーム等の非鉄金属類の売買業を営む者であるところ、昭和二十七年二月二十七日、訴外明和実業株式会社に対して銅線一噸を代金を三十七万二千円とし、目的物は代金の受領と引換に引渡す約定で売渡すことを契約した。

而して翌二十八日、原告は売買の目的物を引渡す準備をしていたところ、同訴外会社から右代金を、同会社振出の被告銀行新橋支店を支払人とする額面三十七万二千円の小切手を以て支払いたき旨の申出があつたので、原告は同会社から右小切手を一応預つた上自己の取引銀行である株式会社大阪銀行戸越支店に対して、該小切手の支払人にその支払力を照会するよう依頼した。そこで同銀行戸越支店は右小切手の支払人である被告銀行新橋支店に、電話を以て、右小切手の振出人小切手金額その他小切手に記載された事項及び支払の見込があれば同小切手を早速所持人に振込ませ、翌日手形交換所に廻す予定であることを告げ明和実業株式会社と当座預金取引があるか同小切手に紛失届がでていないか、振出人である明和実業株式会社はこれ迄に不渡小切手を出したことがあるか、この程度の金額ならば支払は大丈夫であるか等の点について照会した。これに対して被告銀行新橋支店のなした回答は、被告銀行新橋支店は明和実業株式会社と当座預金取引があり小切手の紛失届もでていない。又同会社は過去に不渡手形を出したこともない。この程度の金額ならば支払は大丈夫と思うとの趣旨のものであつた。そこで原告は右回答を信じて前記小切手を正式に受領し、これと引換に銅線を引渡した。ところが、右小切手を前記株式会社大阪銀行戸越支店に振込み、同銀行支店がこれを手形交換所に廻したところ、預金不足の理由でその支払を拒絶された。そこで調査したところ、当時の明和実業株式会社の被告銀行新橋支店における預金口座の残高は僅かに三百円に過ぎず、しかも昭和二十六年九月以降新たな預入も引出もないこと及び同会社は半年以上も前から休業状態で何等の資産もない状況にあるのに、被告銀行新橋支店は、明和実業株式会社を他の会社と誤解した過失によつて前述の如き回答をしたものである事実が判明した。そのため、原告は小切手金の支払を受けることも、損害を賠償せしめることも事実上できなかつたのである。そもそも商取引において、商人が、信用状態の判然しない相手から小切手等を受取る場合には、相手の取引銀行から取引の状況や信用状態をきくことが肝要であり、安全でもある。これは取引上の常識である。かかる場合に、商人が相手の取引銀行に支払力を照会することもしないで小切手を受取り、その小切手が不渡になつた場合にはその商人に重過失があるとされているのである。又、手形小切手を以てする信用取引においては、支払に関して交付された手形小切手が完全に支払われることによつて始めてその目的を達し得るものであり、同時に公的性質を有する金融機関である銀行もこれによつてその機能を発揮し得るものである。手形小切手が不渡になればこれに関連した多種多様の取引関係から生じた多数の手形小切手についてもその不渡を誘導惹起するにいたるので、手形小切手の不渡が累増するときは信用取引の機能の失墜を来すはもちろん、金融取引をも著しく阻害するに至る。従つて不渡手形を発行した悪質取引者はこれを金融取引界から一掃する必要があるので銀行は不渡手形の振出人との取引を停止し又は解約処分に付するのである。されば銀行が当座預金取引のある顧客が振出した小切手等の支払力について他の銀行から照会があつた場合には、当該銀行は従来の取引状態から判断してその支払力の有無を回答すべき義務があるのであつて、この事務は公的金融機関としての特性を有する銀行の業務でもあり、責務でもある。されば銀行が前述の如き照会を受けた場合に、調査を怠つて誤つた回答をしたために、これに基いて小切手を取得した商人がその不渡によつて損害を被つた場合には、その銀行は過失による不法行為をしたものとして、損害賠償の責に任じなければならない。これを本件についてみるに、被告銀行新橋支店のなした回答は、明かに過失による誤つた回答であり、原告はこれによつて小切手の金額に相当する三十七万二千円の損害を被つたものであるから被告は同損害を賠償すべき義務がある。よつて被告に対し金三十七万二千円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和二十八年五月五日以降に至る迄年五分の法定利率による遅延損害金の支払を求める。

被告は、銀行間には銀行が他の銀行からなされた自己と当座預金取引ある顧客の振出した手形小切手の支払力についての照会に対する回答について法律上の責任を負わないという慣習があり、銀行以外の第三者に対しても同様であると抗争するけれども、かかる慣習の存在はこれを否認する。仮に被告主張の如き慣習があるとしても、それは公序良俗に反する無効の慣習であるからそれが有効であることを前提とする被告の主張は失当である。と述べた。<証拠省略>

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張事実中、原告主張の頃被告銀行新橋支店が訴外株式会社大阪銀行戸越支店から訴外明和実業株式会社振出、金額三十七万二千円の被告銀行新橋支店を支払人とする小切手の支払見込につき電話を以て照会を受け、これに対して回答をした事実及び右照会にかかる小切手が株式会社大阪銀行戸越支店から手形交換所を経由して廻つてきた事実、同小切手が預金不足の理由で不渡となつた事実、訴外明和実業株式会社の被告銀行新橋支店における当座預金の残高が当時三百円であつた事実及び被告銀行新橋支店における同会社の預金口座に、昭和二十六年九月以降預入も引出もなかつた事実はいずれもこれを認めるが、株式会社大阪銀行戸越支店に対して被告銀行新橋支店のなした回答の内容右回答が過失によるものである事実及び被告に不法行為上の損害賠償責任があることの理由として主張する事実はいずれもこれを否認する。その余の事実は不知。株式会社大阪銀行新橋支店から被告銀行新橋支店に電話を以て問合せた照会事項は略原告主張のとおりのものであるけれども、これに対する被告銀行新橋支店の回答の要旨は、被告の取引先に明和実業株式会社があること、同会社振出の三十七万二千円の小切手の支払の見込は、当時同会社の当座預金の残高が不足であること、同会社は今迄不渡手形を出したことはないけれども、ここ暫く動きがないし、預金残高も不足していることであるゆえ、はつきりした返事はできかねること、しかし、同会社としては小切手資金として後に預金するのかも知れないから、小切手を手形交換所に廻すだけは廻してみられたいこと等であつて原告の主張するようなものではない。明和実業株式会社を他の会社と誤解して回答したような事実はない。原告は小切手を受取る前に株式会社大阪銀行戸越支店を通じて同小切手の支払見込を被告銀行新橋支店に照会したというけれども、証拠調の結果によれば、その照会は既に原告が明和実業株式会社からその主張の小切手を受取つた後のことであることが明かである。従つて、被告の回答と、原告の本件小切手の取得、従つてまた原告主張の損害の発生との間には因果関係がない。殊に東京都内の銀行間には、銀行が他の銀行からなされた、自己と当座預金取引ある顧客の振出した手形小切手の支払力についての照会に対して回答した場合には、それについて法律上の責任を負わないという慣習が存在する。又、銀行は、自己と当座預金取引ある顧客の信用状態について、銀行以外の一般私人からも照会を受けてもこれに応じない慣例であることは公知の事実である。被告銀行新橋支店ではそれらの慣習ないし慣例の前提条件のもとに、株式会社大阪銀行戸越支店の照会に対して回答しているのであるから被告はこれについて法律上の責任を負うものではない。と述べた。<証拠省略>

理由

証人吉岡とめ、長野彰(第一、二回)及び本間軍治(第一、二回)の各証言並びに原告会社代表者反町信太郎尋問の結果を綜合すれば、原告会社は銅その他の金属類の売買業を営むものであつて、昭和二十七年二月二十七日、訴外明和実業株式会社に対して銅線一噸を代金を三十七万二千円とし、目的物は代金の受領と引換に引渡す約定で売渡すことを契約した。而して翌二十八日原告会社が売渡した銅線を明和実業株式会社に引渡すために倉出して同会社からの代金の支払を待つていたところ、同会社の係員から、右代金の支払のためとして、同会社の振出にかかる、金額三十七万二千円、支払人被告銀行新橋支店の約束手形一通を持参し、これを以て代金を支払いたい旨の申出があつた。そこで原告会社では同会社との取引は始めてであつたので同小切手の支払力を調査するため、一応同小切手を預つた上、同日事務員吉岡とめに命じて自己の取引銀行である株式会社大阪銀行戸越支店に赴かしめ、同銀行支店の預金係の長野彰に這般の事情を告げて、同小切手の支払人である被告銀行新橋支店にその支払力についての照会方を依頼せしめた事実、長野彰は右依頼に基いて被告銀行新橋支店に電話を以て照会したところ、被告銀行新橋支店の当座預金元帳係の酒井セツがこれに電話で回答した事実及び原告が右回答から右小切手の支払は見込があるものと考え、同小切手を正式に受取つて明和実業株式会社に銅線を引渡した事実を認めることができる。以上の認定の妨になる証拠はない。而して、原告が右小切手を株式会社大阪銀行戸越支店に振込み、同銀行支店はこれを手形交換所に廻したところ、結局同小切手は被告銀行新橋支店において、預金不足の理由でその支払を拒絶されたことは当事者間に争がなく、明和実業株式会社はそれ以前から営業不振で殆んど無資産の状態にあるため、原告会社は小切手金の支払を受けることが事実上不能であることが、証人平野軍治の証言(第一、二回)によつて推認できる。而して昭和二十七年二月二十八日株式会社大阪銀行戸越支店が被告銀行新橋支店に対して、電話を以て照会した内容が、小切手の振出人、小切手金額その他小切手に記載された事項及び支払の見込があれば同小切手を同日振込ませ、翌日手形交換所に廻す予定であること等を告げて、同小切手に紛失届がでていないか、振出人である明和実業株式会社はこれ迄に不渡小切手を出したことがあるか、この程度の金額ならば支払は大丈夫であるか等であることは当事者間に争がない。しかし、これに対して被告銀行新橋支店が電話を以てした回答の内容については当事者間に争があるので按ずるに、証人吉岡とめ、長野彰(第一、二回)、本間軍治(第一、二回)及び酒井セツ(一部)の各証言並びに原告会社代表者反町信太郎尋問の結果を綜合すれば、被告銀行新橋支店の当座預金元帳係酒井セツが株式会社大阪銀行戸越支店の預金係長野彰に電話を以てした回答の内容は略原告主張の如きものであつたことが認められる。証人酒井セツの証言中右認定に反する部分は前掲証人長野彰の証言に対比してたやすく措信できず、又証人岡崎安宏のこの点に関する証言は必ずしも同認定を左右するものでなく、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。ところが、実際においては、明和実業株式会社の被告銀行新橋支店における当座預金の残高は当時僅かに三百円であり、しかも、被告銀行新橋支店と同会社との取引は昭和二十六年九月以降はなかつたことが当事者間に争がなく、又、前認定の如く、同会社は当時営業不振で殆んど無資産の状態にあるため、原告が小切手金の支払を受けることは事実上不能な状態にあつたのであるから、被告銀行新橋支店の事務員酒井セツのなした回答は真実に著しく異つたものであるといわなければならないし、又それはずさんな調査に基いたことに基因するものであることが前説示の事実から推認できる。而して被告銀行新橋支店の事務員酒井セツのなした回答は、原告会社が訴外明和実業株式会社に対して、売渡した銅線を引渡すことの意思決定をするについて重要な原因をなしていたであろうことは前説示の諸事実に徴して明かである。よつて、被告の責任について考えてみる。証人長野彰の証言(第二回)及び弁論の全趣旨により、被告銀行が信用状態の照会に使用している書類の雛型であることが認められる乙第一号証の一、二に鑑定人安原米四郎の鑑定の結果を斟酌すると、東京都内の銀行間には銀行の係員が、その銀行と当座預金取引のある顧客が振出した手形小切手等の支払力につき他の銀行の係員から照会を受けた場合には、照会を受けた係員はその支払力の有無を回答し、又、期日未到来の手形等の支払力についての照会については支払力の見込を回答することになつているけれども、それらの照会及び回答は、当該手形、小切手の支払保証又はこれに準ずる行為をした場合以外には、回答した銀行はその回答の結果について法律上の責任を追及されない趣旨のものとしてなされているのが慣例であることが認められる。原告は、かかる慣例は公序良俗に反する無効のものであると主張するけれども、これを肯定すべき根拠がない。従つて反証のない本件においては、株式会社大阪銀行戸越支店の係員長野彰の照会もこれに対する被告銀行新橋支店の係員酒井セツの回答もこれらの慣例の前提条件の下に、交換されたものとみるべきであるから、被告銀行は右回答の結果について照会者から責任を追及されないものといわなければならない。尤も右の慣例は銀行間の慣例にとどまり、銀行以外の第三者との間の関係は直にこれを以て律することはできないけれども、証人岡崎安弘の証言に徴すれば、一般に銀行は、銀行以外の一般私人から自己と当座預金取引ある顧客が振出した手形小切手等の支払力について照会を受けても、これに応じない慣例があることが認められ、原告会社が明和実業株式会社振出の小切手の支払力について、自ら直接照会せずに、その取引銀行である株式会社大阪銀行戸越支店を介して被告銀行新橋支店に照会したのもかかる慣例が存在する結果であることが窺知できる。以上の事情から考えてみるに、条理上原告会社は照会銀行である株式会社大阪銀行同様、回答に過誤があることを理由として被告銀行に対して損害の賠償を訴及することはできないものと解すべきである。とすれば、原告の本訴請求は爾余の争点について判断を加える迄もなく、その理由がないことは明かである。(原告は本件において被告が原告に対して責任を負う根拠を、被用者の行為についての使用者としての責任におかず、法人たる被告自身の不法行為上の責任に求めているのであつて、かかる主張が許されるかどうかは問題であるけれども、主文に影響がないので特にこの点について判断を加えない。)

原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田実)

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